御代川について
湘南の味処。美しい日本の四季。
その時々を食材に込め作り上げる料理の数々。自然の恵みを、生活の豊かさを喜びをもって食す。
湘南に展開する御代川の各店。その暖簾は、いずれも変わらぬ味をお約束いたします。
食材へのこだわり
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しゃぶしゃぶ
鮮やかに、華やかに。
三浦葉山牛。
豊かな自然が産んだ最高級の黒毛牛です。御代川の名を冠するに相応しい、厳選された逸品。しゃぶしゃぶのおいしさは素材がすべてと言っても過言ではありません。 -
懐石料理
凛として、きらびやか。
懐石料理とは、料理人が精魂込めて創り上げる一枚の日本画のよう。
ひとつひとつ、一切の妥協を許さず、なせる技のすべてをそそぎ、人の五感に訴えます。自然を感じ、美を感じる。これこそ、和食の究極のかたちと言えます。 -
懐石弁当
極妙な膳。
料理の味が、美しさが、穏やかな心の安らぎを醸し出す。
懐石弁当は、その場所を選ばず御代川の味をお届けしようと創業以来の伝統として培われたものです。小さな膳の上に広がる、その奥深さ。見て、味わって、料理の世界を堪能してください。
鎌倉御代川の歩み
灯篭大臣:前田青邨先生
当家の創業者の、初代御代川鯉之助は、戦前、関東随一の高級料理「新喜楽」で最年少料理長を務め、若くして「煮物の神様」と謳われ、その名を料理業界に知られていました。
戦後独立し、後に東京赤坂に高級料理店を開業し、政財、官界、実業界、画壇、文壇、各界の著名なお客様にご利用を賜り、盛業しておりましたが、女将が病に臥し、心配した前田青邨先生のお薦めで、空気のきれいな鎌倉に移転し、この地に改めて「御代川」の暖簾を掲げ、料理屋を開店します。
その極めた料理は、鎌倉の地でも評判をいただき、鶴岡八幡宮、大本山建長寺などをはじめ、鎌倉諸山の古刹、名刹の料理御用を務め、お出入りを許されています。
初代と、ごく昵懇の棟方志功先生は、御代川の料理の技を「天下の包丁」と、筆を執って称えてくださり、また、こよなく御代川を愛していただいた奥村土牛先生には、御代川の味の「のれん」を大事にするよう、題字を頂戴しています。
御代川の看板は、初代以来の、料理人の心を忘れぬよう、両先生のものを現在も、大切に使っています。
初代からの長いご贔屓の賜で、名画、名陶、貴重な書や武具など美術品の収蔵も多く、そのごく一部を御代川の各店舗で、お客様に、渾身のお料理を召し上がりながら、ゆっくりとご覧いただいています。
また、当店でお出ししているお酒は、川端康成先生が赤坂御代川にご来店いただいた折、「この酒の風味こそ京の味」と『古都』と命名、揮毫されたお酒です。
御代川創業史
昭和24年、戦後間もなく小さな料理屋を開き、後に東京の赤坂見附において高級料理店を開店いたしました。創業者であります御代川鯉之助は戦前、当時では関東で最も高級な料理店として有名だった「新喜楽」の最年少の料理長をしておりました。内閣官邸に出張料理に出かけることも度々ありました。料理界では五本の指に入る名料理人であり「煮物の神様」と呼ばれていました。
料理店を開店した当時におきま しては、その味と腕に魅かれましたお客様により大変繁盛いたしました。歴代総理大臣、政界官僚の方々。三菱(重工、商事、地所)竹中工務店・大成建設その他一流建設会社などの財界の方々。川端康成などの文化人、棟方志功、福王寺法林、奥村土牛、前田青邨、岩橋英遠などの画家、その他有名な方々のご贔屓を頂いておりました。
東京で10店近く店舗を営業いたしましたが、料理人としての最重要な相方「女将」つまり創業者の妻が病に伏し、前田青邨先生のお薦めで空気のきれいな鎌倉の地に移転してまいりました。この地に料理店を開店させ現在に至っております。
当時の名残として名画、武具、書、陶器などがおよそ150~200点以上にもなります。中堅美術館に匹敵する内容と数でもあります。日中文化交流の際日本政府の要請により絵画を出品したこともあります。院展の先生方にも大変賞賛を得られております。
現在は鎌倉・藤沢の各店舗でその一部(棟方志功、福王寺法林、奥村土牛、前田青邨、岩橋英遠、平山郁夫、片山南風、大田聴雨、乃木希典、勝海舟、西郷隆盛、大山忠作、東郷元帥、三島由紀夫、浅野総一郎、渋沢栄一、藤田伝三郎など他数十点程)を展示してございます。
創業者 御代川鯉之助は、棟方志功・奥村土牛らと懇親の仲にありました。御代川の「ロゴ」や「のれん」は両先生のものを使わせて頂いております。
当店で、お出ししているお酒は、川端康成先生が赤坂御代川にご来店されご自身が「この酒の風味こそ京の味」『古都』と揮毫されたお酒です。